GWも後半になって、体重が気になり、朝夕体重計にのって一喜一憂しているレコーディングダイエッター、“レジエンストレーナー”松岡タカノリです。
セルフイメージを描いているけど…
GWも後半というか終盤になり、帰省ラッシュも始まる頃だと思います。今年は旅行にもいかず、帰省もせず、部屋に閉じこもって仕事をしていたので、帰省ラッシュにも巻き込まれず、人混みのストレスにもさらされず、比較的快適なのですが、運動不足による体重増加が気になるところです。
なにせ私ときたら、スーパー太りやすい体質で、空気を吸っても太ってしまう、肯定的にとらえれば燃費の良い身体をしているのです(非科学的ですね)。
そのくせ美味しいものを食べることには目がないので、日々、体重のチェックと運動(エクササイズ)は欠かせません。
幸い近くにいつでも(エニタイムに)運動(フィットネス)ができる場所があるので良いですね。スキマ時間があればすぐにそこに行き、ひたすらトレッドミルで走っています。
脳に理想的な体型をセルフイメージさせているので、太りすぎても痩せすぎても戻ってしまうので、それほど気にしなくても良いのですが、やはり少しでも太ると気になりますね。レジリエンスが少し下がります。
ギルティな食べ物!?
Z世代が使う言葉に「ギルティフード」というものがあるそうです。「カロリーが高く、罪悪感を感じる食べ物」のことを指すそうです。
なるほどね。Ω(オメガ)世代の私にはさっぱりわからなかったです。
「罪悪感」(英語でguilt)は、ネガティブ感情の1つで、置かれた状況に対して、「(他者に)悪いことをした」、「(他者の)権利を侵害した」、「罪を犯した」というとらえ方から起こりやすい感情です。
そこで、ギルティフードと聞くとΩ世代の私はふと疑問に思うのです。
ギルティって何?何にギルティなの?
高カロリーな食べ物を食べたとて、一体だれに悪いことをしたというの?
罪を犯したとて、どのような罪をおかしたの?
ギルティのとらえ方の転換をしてみる
「ギルティフード」の「ギルティ」とは、道徳や人の道に背く背徳感というとらえ方からきているのか、あるいは大食(暴食)という戒律を破ったというとらえ方からきているのではないかと、Ω世代の私は、認知的不協和を解消するのでした。
では、ギルティフードを食したときの罪悪感を解消するには、
「とりあえず誰にも迷惑をかけていない。自分の健康が損なわれるだけだ」とか、
「今日一日、自分へのご褒美に必要なのだ。これは人の道にそった誇るべき行為なのだ」とか、
「大食という戒めは、私のように破る人が現れるから重要性が増すのだ。私は人々に戒めの大事さをお伝えするため犠牲になるのだ」という風にとらえ方の転換をはかっていただければ、少しは罪悪感も抑えられると思います。
なにより食べ物には罪はないので、「ギルティフード」って言ってあげるのはやめましょうよ。
私のライフワークであるレジリエンストレーニングでは、「罪悪感」を始めとしたネガティブ感情のとらえ方の転換、感情のコントロール法は、かなり時間をかけてお伝えしていまーす。
さて、今夜も就寝前、レコーディングダイエッターの日課である体重測定の儀式に望んだ私でした。ギルティな食べ物(ギルティって言うなよ)は食べていないので心に余裕を持って…
「落ち着け。乗り越えられない試練など与えられないのだ。必ず試練は乗り越えられるのだ!」
入浴してパジャマに着替えているにもかかわらず、いつでも(エニタイム)運動(フィットネス)できる場所に駆け込んだのは言うまでもありません。
レジリエンスが試される日々は続きます。